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大阪地方裁判所 昭和52年(わ)413号 判決 1981年4月20日

本籍

池田市桃園一丁目一二九一番地

住居

豊中市庄内西町二丁目一七番三〇号

電気工事材料卸業

室留敏昭

昭和二二年八月二一日生

右の者に対する公務執行妨害、傷害被告事件につき当裁判所は検察官藤原彰出席のうえ審理をし、次のとおり判決する。

主文

被告人を懲役五月に処する。

この裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和五二年八月二日、豊能税務署所得税・資産税第三部門所属の大蔵事務官(国税調査官)粟田末廣(当時二八歳)が電気工事業井上治の昭和四九年度分ないし同五一年度分の所得税の事後調査のため同人に質問等をするべく豊中市曽根南町二丁目一二番九号所在の同人方を訪れ、応接間に通されていたさい、右井上の依頼により調査に立会うべく床鍋訓外二名とともに同応接間に同席し、右粟田に対し調査の立会を認めるよう求め、また、同人が井上に事業内容や取引銀行等について質問を始めた後も右床鍋らとともに調査理由の開示を求める発言を続けていたが、粟田と井上が質問応答中の同日午前一〇時半ころ、被告人が「調査理由は何か。」と何回目かの発言をしたのに対し右粟田が「黙れ、帰れ。」等と大声で怒鳴ったことに立腹し、右井上の隣りの椅子に座っていた粟田が井上の応答内容をメモするためメモ用紙をはさんだ紙ばさみを膝の上に置いていたのを手ではらい落とし、すぐに椅子から立ち上がった粟田の左胸上部の手を突いて同人を椅子の上に横転させ、さらに、起き上がった同人の喉もとやシャツの胸元あたりを両手でつかんでゆさぶったり引張ったりするなどして同人を床上に転倒させるの暴行を加え、もって同人の職務の執行を妨害するとともに、右暴行により同人に全治まで約一週間を要する頸部擦過傷皮下出血及び左背部打撲擦過傷皮下出血等の傷害を負わせたものである。

(証拠の標目)

一  第二ないし第九回公判調査中の証人粟田末廣(第一回)の供述部分

一  証人粟田末廣(第二回)に対する当裁判所の尋問調書

一  第九ないし第一二回公判調書中の証人荒田進の供述部分

一  第一三及び第一四回公判調書中の証人床鍋訓並びに第二二回公判調書中の証人井上治の各供述部分

一  当裁判所の検証調書

一  司法警察員中島優作成の検証調書(抄本)

一  税務署事務分掌規程及び税務署処務規程(いずれも写)

一  司法巡査越智智幸徳作成の写真撮影報告書

一  司法警察員山本善昭作成の証拠品複写報告書

一  押収してある白半袖シャツ一着(昭和五三年押第三六七号の一)、ボタン一個(同押号の二)及びメモ帳紙ばさみ付一綴(同押号の三)

一  司法警察員川村義高作成の写真撮影報告書

一  医師堀口泰弘作成の診療録(謄本)及び第一六回公判調書中の同人(証人)の供述部分

一  医師鈴木弘之作成の診断書及び診療録並びに第一七回公判調書中の同人(証人)の供述部分

一  被告人の当公判廷における供述

(事実認定について)

関係証拠を総合すれば、

1.粟田は、本件当日、午後一二時二〇分ころ井上方を辞去して午後一時ころ豊能税務署に帰着し、午後二時ころ(堀口証言によれば午後一時半ころ)堀口医師方を訪れて同医師の診察を受け、続いて午後四時ころ(鈴木証言によれば午後二時か三時ころ)豊能税務署に往診した鈴木医師の診察を受けていること

2.右堀口医師の受診時、粟田は同医師に「手で首をしめられ、首に痛みがある。」などと訴えていたが、同医師の診察結果では

イ、首の左右に発赤があり、とくに左側は発赤中に点状の皮下出血があって腫れており、

ロ、右腕前膊屈側中央あたりに拇指頭大(径約一センチメートル)くらいの発赤があり、

同医師は、右ロは挫傷にあたるものの取るに足りないとしたが、右イについては、腫れをひかす薬効の軟膏を塗布し、その腫れは二、三日でひくが、皮下出血がおさまるには、一週間くらいかかるであろうと判断して、「頸部挫傷及び皮下出血。約一週間の加療を要する。」と診断していること

3.右鈴木医師の診察結果では、

イ、頸部左側に軽度の擦過傷あり、点状皮下出血を認める。

ロ、右腕内側部に擦過傷あり、点状皮下出血を認める。

ハ、左背部肩胛骨右横に直径約一〇センチメートルの円形打撲傷あり、皮下出血を認め、腫脹、疼痛を訴える。ということであり、同医師はこれらにつき静養により治癒するものと認め、治療はしなかったが、一面約一週間の加療期間を要するとも診断していること

4.そして翌八月三日午前一〇時過ぎころ豊中警察署で司法警察員川村義高が粟田を上半身はだかにして患部の写真を撮影しているが、その写真には前記2のイ(3のイ)の左頸部の皮下出血の状況及び3のハの左背部の皮下出血の状況等が写っていること

が認められる。

証人床鍋、同井上の各証言及び被告人の公判廷における供述ならびにこれらに基礎を置く弁護人の主張をつきつめるとすれば、粟田ら税務当局側は、同人が井上方を辞去した後、前記のごとき傷害を同人の身体にわざとつけ、あるいは別の機会にできたこれら傷害を井上方における出来事とことさら結びつけ、さらには、当時粟田が着ていた半袖カッターシャツの上から二番目と三番目のボタンをわざと引きちぎる(ボタンがとれたあとには糸が残っているが生地が痛んでいる)などして証拠を捏造し、このようにして被害情況をでっち上げたうえこれを警察に申告し、さらに粟田は、このでっち上げの被害情況を法廷等においてまことしやかに偽証したということにならざるを得ないかのように考えられるのである。しかし、以下の諸点すなわち

(1)  粟田は、前記堀口医師の受診にさいし「手にじゅうたんでこすられたあとがある。」と訴えて右腕の傷をみせていたが、堀口証言によれば「じゅうたんでこすったことによる可能性もないことはないと思うが、そのようにしてついた傷であることには当時疑問を感じた。」ということであり、鈴木証言ででも「ふつうのじゅうたんではそのような傷はつかないと思う。」と述べられており、このような医師の見解に影響されてかどうか、粟田の証言では「右腕の傷はどのようにしてついたのか一寸わからない。」旨述べられていること

(2)  粟田は、前記堀口医師の受診にさいし「倒された」と説明したが、背中に痛み等の症状のあることはなんら訴えておらず、同医師は問診の結果として「倒されたが打撲はとくにない。」とカルテに記入している。その後鈴木医師に背中の傷をみてもらうまでのいきさつとして荒田証人の述べるところでは、「堀口医師方からの帰途ダイエーでワイシャツを買い、帰署して着替えさせるときはだかにして観てみると、背中の左肩胛骨あたりに一〇センチメートルほどの内出血があり、赤くなっていた。その時点で署内としても写真をとった。」というのであるが、しかし鈴木証言による、前記背中の傷は、「これだけの傷であれば当初のころから痛みがあるはずである。」とされていること

(3)  司法警察員川村義高撮影の前記写真によれば、背中の傷には、発赤部の中に縦に走る数本の細い白い線が写っており、この写真を示されての鈴木証言では「この白い線は擦過を免れている部分であり、作用した鈍体に凹凸のあったことなどが考えられる」と述べられていること

(4)  粟田の証言には、被害を受けたときの具体的な情況につき、細かいことになると、一部供述があいまいであったり、記憶によるというよりも強いて説明をつけているのではないかと考えられたり、供述内容に多少の変化をみせたりしている部分が存すること

(5)  本件当時の情況につき判示のごとき暴行、傷害の事実はなかったとする証人床鍋、同井上及び被告人の各供述は、細部においてはともかく、大筋においてほぼ一致し、その内容は粟田証言の内容と大きく対立していること

(6)  税務当局の民主商工会に対する一般的な姿勢及び「調査妨害等事案の措置要領」の存在等に関し証拠上認められる諸般の事情

などを考慮しても、右のようにして被害情況がでっち上げられたのではないかと疑うことが合理的であるとはにわかに考えられないところである。

また粟田証言によれば、

(イ) 被告人は椅子に座っている粟田の前に立ち、前かがみになって紙ばさみを払い落したものであり、そのころ粟田の膝と被告人との間には二〇センチメートル程度の間隔しかなかったが、粟田は数十センチメートル右方の床に落ちた紙ばさみを拾うため、とっさに、しかも被告人に当ることなく立上がっており、

(ロ) 紙ばさみがはたかれたとき、右隣の椅子には井上が座っていたが、立上って疲れて二つの椅子にかけて倒れたときは井上はそこにいなかったようであり、起き上がってから見たときには同人は少し離れたサイドボードの前あたりに居た、

(ハ) 最後に床上に倒されしばらくして起き上がったとき、井上、岡本の両名が被告人のうしろから羽交締めで止めていたが、それまでの被告人の乱暴を働いている間には、同席者が被告人を現実に制止し得ておらず、

(ニ) 粟田は、井上方で被害を受けた後豊能税務署に帰り着くまで、被害時にゆるんだネクタイをしめ直さなかった。などということになるのであって、弁護人はこれらの諸点をとりあげ、その各状況は不可解であるとし、粟田の証言内容が虚偽であることのひとつの証左であると主張しているが、右のような各状況は不可解ではなく、あったとしても不思議とはいえない。

むしろ、以上のごとき諸点その他弁護人の所論にもとづき検討しても、判示認定にそう粟田証言はその大筋において措信に値するものと考えられ、これらを中心とする前掲証拠を総合すれば判示の暴行、傷害等の事実を認めるに十分である。この場合、前記3のハの左背部の傷は被告人に左胸上部を突かれて椅子(表面の布の下には木材があり、布の上から容易に触れることができる)の上に転倒したさいに生じたものであり、前記2のイ(3のイ)の頸部の傷は被告人の喉もとなどをつかまれてゆさぶったり引張ったりされ床の上に転倒するまでの過程で生じたもの(なおそのさいカッターシャツの上から二番目と三番目のボタンがちぎれた)と認められるのであるが、前記(1)、(2)の各事情はこうした認定に反するまでのことはなく、(3)の事情については、横転、打撲、擦過時の具体的状況いかんによっては白い線状痕のつくこともあり得ると考えられ、また(4)の状況も、とっさに体験した出来事を後になって詳しくこと細かに質問される立場に立たされた者の供述としてある程度やむを得ないものがあると言えるのである。そして、こうした認定に反する証人床鍋、同井上及び被告人の各供述には信を措くことができない。

なお、付言するに、

A、被告人と粟田との間でなんらかの出来事が起きた前後における着席位置の移動の状況(ただし、三人掛け用長椅子の着席位置を屋の窓側から1、2、3とし、二個の個椅子を部屋の出入口側から4、5とするとき、粟田は4から2へ、被告人は3から5へ、岡本は2から3へ移動したものと認められる)、ことに井上と岡本はそれぞれ席の位置を変っていること

B、証人床鍋、同井上および被告人はほぼ一致して供述しているように、帰ろうとする粟田を被告人が制止し、両肩を押さえるなどして右Aにいう2ないし3のソファーの位置に座らせようとしただけであるのに、腰の掛け方が浅く床についた粟田がさらに作為的に不自然に床の上に寝転び、「痛い。痛い。」と言ったというのが当時の出来事であるとすれば、粟田をまじえてのその後の同室内での話合いにさいし、粟田のそのような作為を非難する発言があってもよいと考えられるのにそのような発言の事実はなかったこと

C、右話合いの機会に、粟田証言によれば「床鍋が被告人に『今起こったことについてどう思うんや。』と問い、被告人が『手を出したことは悪かった。』と答えた。」ということであるのに対し、床鍋証言では「粟田が陳謝の発言をしたのに対して被告人にどう思うかと尋ねたところ、被告人は(粟田が黙れ、帰れとどなったことに対し)『自分が、帰れとは何事か、と強い調子で大声で返答したこと自体は悪かった。」ぐらいの返答をしたと思う。」と述べられ、井上証言では「被告人は床鍋から、あんたどう思っているのか、と問われたのに対し『やっぱり公務員としてはあるまじき態度と違うかな。』と言っていたが、自分自身の行動について何か言ったのは聞いていない。」ということであり、被告人自身は「床鍋からどう思うか尋ねられたが、自分は答えることがないので黙っていた。」と供述しているなど、後三者の内容は帰一しないこと

などの諸点も、判示認定にそう粟田証言を措信し、これに反する床鍋証言、井上証言及び被告人の供述を措信できないとすることに左担するものと考えられる。

(法令の適用)

被告人の判示所為のうち、公務執行妨害の点は刑法九五条一項に、傷害の点は同法二〇四条、罰金等臨時措置法三条一項一号にそれぞれ該当するところ、右は一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから刑法五四条一項前段、一〇条により一罪として重い傷害罪につき定められた懲役刑で処断することとし、その所定刑期の範囲内で被告人を懲役五月に処し、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予し、訴訟費用は刑訴法一八一条一項本文により全部被告人に負担させることとする。

(弁護人の主張に対する判断)

一  弁護人は、「本件質問検査権の行使は、(1)具体的調査理由の開示を行わず、(2)調査日時の事前通知を意図的に無視し、(3)立会人らに対し「帰る。帰る。」と威圧をかけたり、「黙れ。黙れ。」等と怒号する言動を伴ない、(4)井上の民主商工会加入を理由として差別的になされたものであって、以上のいずれの点からも違法である。」とし、また、粟田が「帰る。」と言って立ち上がり応接間の出入口の方向に移動した時点以前には被告人の粟田に対する暴行はなんら存在しないことを前提にして、「右時点で同人の職務行為は終了し、被告人もそのように認識していたのであるから被告人には故意がなく、いずれにしても公務執行妨害罪は成立しない。」と主張する。

二  所得税法二三四条の質問捜査権は、納税申告等の内容が事実であることを担保し適正公平な課税を実現するという行政目的のために設けられたものであり、権限ある税務職員において具体的事情から客観的な必要があると判断する場合に適正な所得税額の把握に関係する事項にかぎり所定の者に対して行使しうるのであるが、所得税の事後調査にさいしては、広く申告の適否を調査するために必要がある場合にも行使することができるのであり、また、どのような場合に同法二四二条八号の構成要件を充足するのかはともかくとして、右権限行使にあたり調査の理由及び必要性の個別的、具体的な告知をすることは法律上一律には要求されておらず、ただ調査事項、調査の進行程度及びこれに対する納税者の対応状況等の個別的具体的事情に照らし、調査理由あるいはその必要性を告知しないことが不合理であると考えられる場合にはその告知が必要とされるものと解するのが相当である。

本件の場合をみるに、粟田は井上方において同人から「調査理由は何ですか。」と問われ、「長い間来ていないからです。」などと答える以上には具体的、個別的な調査理由及び必要性を告げることなく、同人に対する質問を開始し、これを続けたものであるが、関係証拠によれば、

(1)  電気工事業者である井上からは昭和四九年度分以降の所得税の納税申告があったが、その申告書には所得金額及び所得税額の記載をあったけれども収入金額及び必要経費の記載はなく、一方注文者とみられる三宅電気工業株会社の資料や家族構成等から申告額が過少ではないかの疑念も持たれたので、豊能税務署では<1>取引資料から取引銀行及び総収入金額を把握すること、<2>必要経費の検討をすることの二点を重点調査事項とする調査の必要を認め、同署所得税、資産税第三部門所属の国税調査官である粟田が、上司である同部門の統括国税調査官荒田進の命を受けてその調査をするようになったこと

(2)  井上に対する質問は本件当日初めて開始されたものであるが、昭和五一年度分以前の所得税の事後調査であることは後記三の連絡箋等により事前に井上に知らされており、またこの日の質問の内容も事業内容、従業員数、帳簿作成の有無、入金の種類(現金か小切手か)、家賃額、取引銀行等であって、いずれも所得計算と関係する事項であると合理的に判断しうる事項にとどまり、かつ井上もこれに応答しており、またさらに進んで井上からどのような資料に基づいて申告書を作成したかなど申告内容の適正であることについて説明がなされたような事実もなかったこと

が認められるのであって、このような状況のもとにおいてこのような段階ですでに調査理由あるいはその必要性を個別的、具体的に告知することが必要であったということはできず、その他取調済の全証拠を検討しても、右告知をしなかったことが不合理と認めるに足りる事情を見い出すことはできない。

三  次に調査日時の事前通知の点について検討するに、関係証拠によれば、粟田は昭和五二年七月二一日ころ前記統括国税調査官荒田進から井上治に対して調査日時の事前通知をすることなく同人の昭和五一年度分以前の事後調査をするよう指示を受けたこと、粟田は翌二二日右指示通り調査日時の事前通知をすることなく井上方を訪問したが、同日井上は不在であったので、粟田は訪問の目的及び同月二五日午前一〇時に再訪問する旨記載した連絡箋を井上の息子に手渡して帰ったこと、粟田はその後井上から同月二五日は都合が悪いので同年八月二日午前一〇時に来てもらいたい旨の連絡を受け、右指定の日時ころに井上方を訪問したことの各事実が認められ、以上によれば、当初は意図的に調査日時の事前通知がなされなかったものの、そのことによって井上は何ら私的利益を害されなかったのみならず、同年八月二日の実際に行われた調査については事前通知がなされたのと同じ結果になっているのであって、本件においては実質的に事前通知があったということができ、事前通知の要否について判断するまでもなく、右通知がなかったとの理由で本件質問検査権の行使を違法ということはできない。

四  また、質問検査権行使のさいの粟田の言動については被告人らが粟田の求めに応じて自己紹介をした後、被告人らと粟田の間で立会をめぐるやりとりがあり、粟田は第三者の立会は不適当と考えて公務員に守秘義務があることを理由に被告人らが帰らないなら調査ができないので自分が帰る旨述べたことが認められ、また粟田が「黙れ。帰れ。」等と大声で怒鳴ったことは判示のとおりであるが、守秘義務を負わない第三者の立会は不適当であると考えた粟田がその退去方を説得する方法として被告人らが帰らないなら自分が帰る旨述べたことは職務執行の態様としてあながち不当とはいえないし、また、調査に際し大声で怒鳴ったことは公務員の言動として妥当を欠き、本件犯行を誘発したものとして遺憾であるが、そうであるからといってそのために職務行為がただち違法となるとは解せられない。

五  本件質問調査権の行使が差別的になされたものといいうるかについて検討するに、関係証拠によれば、民主商工会が毎年三月の統一行動としてする集団申告に井上も参加していたことから、豊能税務署では同人が民主商工会の会員であると把握し、民主商工会の会員に対する所得税調査の過去の経験に照らし、同人の所得税調査も調査困難事案であると判断のうえ、同税務署で調査困難事案を担当する第三部門で取扱うことにしたことが認められる。

しかし、井上を所得税事後調査の対象とし、同人に対して質問検査権を行使するようになったいきさつはすでに二で認定したとおりであって、同人が民主商工会の会員であることを理由に同人を調査の対象とし、同人に対して質問検査権を行使するようになったものとは認められない。

また、本件において調査日時の事前通知が実質的になされているとみるべきことは前記のとおりであり、ただ当初の段階では右通知をすることなく井上方を訪問しているのであるが、関係証拠によれば、一般には調査日時を事前に通知することにしており、調査困難事案等ではそれをしないことにしているというのであって、当初井上方を事前通知なしに訪問したことも、同人の所得税の事後調査を調査困難事案であると判断したことによるものと言えるのであって、同人が民主商工会に加入していることを直接の理由とする違法な差別的取扱いと解するには至らない。

井上を所得税事後調査の対象とし、同人に対して質問検査権を行使するようになったいきさつ及びその行使の状況もすでに認定したとおりであるが、これによれば調査理由及びその必要性を個別的、具体的に告知する法律上の必要のないことは前記したとおりであるばかりでなく、井上の場合に差別的に右告知をしなかったと認めるに足りる証拠はない。

さらに、粟田が大声で怒鳴ったことは妥当を欠くものの、本件調査のさいの粟田の言動は被告人らとのやりとり等現場の状況に対応してなされたもので、特に民主商工会に対する他と異なる取扱を示すものとはいえない。

六  職務行為が終了していたかについてであるが、粟田が帰る旨述べて応接間の出入口へ向かおうとしたさい及びその前後の状況について検討するに、関係証拠を総合すれば、粟田は井上に対し事業内容及び取引銀行その他について質問し、井上もこれに答えていたこと、その間も被告人らは粟田に対し横から調査理由の開示を求める発言を続けていたこと、粟田は、取引銀行について質問しているさいに被告人から「調査理由は何か。」と訊ねられ、「黙れ。帰れ。」となどと大声で怒鳴ったこと、立腹した被告人は、立ち上がり、手で粟田の紙ばさみをはらい落としたこと、次いで被告人は立ち上がった粟田の左胸上部を手で一回強く突いて同人を椅子の上に横転させたこと、起き上がった粟田は、こういうことがなければ引続き必要経費等について質問をするつもりであったが、これでは調査を続けられないと考えて紙ばさみを拾ってカバンの中に入れ、井上に「帰ります。」と言って応接間の出入口に向かおうとしたこと、すると被告人は粟田の喉もとやシャツを両手でつかんで同人をゆさぶり、引張ったりしたうえ床上に転倒させたこととの一連の事実を認定することができ、以上によれば、紙ばさみをはらい落とし、左胸上部を手で強く突く暴行が粟田の職務執行中のものであり、被告人にその旨の認識があったことはもちろんであるが、粟田の喉もとやシャツをつかむなどしたうえ床上に転倒させた暴行は、それに引き続いた一連のものであるばかりでなく、その途中に粟田が帰る旨述べる等したとしてもそれによって当時の同人の職務の執行がただちに終了してしまったとはいえないことも明らかであり、被告人にこうした当時の状況の認識がある以上故意がないということはできない。

以上、弁護人の主張はいずれも理由がなく、被告人の行為が公務執行妨害罪を構成することは疑いがない。

よって主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 岡本健 裁判官 山下寛 裁判官宮本定雄は転勤したから署名押印することができない。裁判長裁判官 岡本健)

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